風を聴く~台湾・九份物語~
2007年 11月 10日
超マイナーな映画なんで、まともな時間にはやってない・・・。
渋谷のレイトショーは無理だったんで、下高井戸のモーニングショーで見てきました。
しかも、上映期間がたったの1週間。うっかりしてると見逃しちゃいます・・・。
映画「非情城市」を見てから、ずっと行きたいと思ってた九份へ行ったのが5年前。
まだ今ほど、一般のツアーコースには組み込まれてなかったと思います。
元々ツアーは嫌いだし、一家3人電車とバスを乗り継いで行きました。
それも、あえて鈍行電車でまったりと、バスの発着する瑞芳の町へ・・・。
電車の中で知り合った台湾人親子と一緒に、駅前でごはん食べてバスで九份へ。
激しい雨に降られて、駅で買った傘・・・これがえっらい丈夫でいまだに使ってます(笑)
かつてゴールドラッシュに沸いた金鉱の町は、とても印象に残ってます。
雨なので山の上からの景色は見えなかったけど、人が少ないのは良かったなぁ。
昔はさぞ賑やかだったんだろうなぁ、と非情城市の映像を重ねて思いをはせたり・・・。
そんな九份の歴史を、おぼろげには知ってたけど、
映画を見て、台湾の歴史とともに、より深く知ることができました。
当時のことを流暢な日本語で語る、生き証人の江さん・80歳。
お元気なうちに(失礼ながら・・・)映画に残せて本当によかった!
江さんとともに登場する、当時の思い出を語る皆さんもかくしゃくとしてらして。
「炭鉱は入る時にマッチやライターを持ってないかどうか検査される
でも、金鉱は出るときに金を持ち出してないかどうか調べられる」
「肛門に隠して出る人もいました。そういうとき、金鉱の入り口に蕎麦屋があるから、
そこへ連れて行くんです。お腹一杯になるとトイレに行きたくなるから・・・」
と、楽しそうに語る、当時の関係者のおじいさま方。
なんかやり方がいかにも台湾らしい牧歌的な感じ(笑)
金が出れば、取り分はもらえるけど、金鉱夫たちは宵越しの銭は持たなかったらしい。
ぱーーっと飲み屋や「女郎屋」に行って、使っちゃうから貯金はなかった・・・と。
ひとつには、みんな肺を悪くして早死にするから、ってのもあったようです。
「よく道端に酔っ払った人が倒れてました」って笑って言います。
みたびゴールドラッシュに沸いた金鉱も、国民党が来てから状況が一変し、
歴史に翻弄されたわけです。そのときのことを語る江さんの表情は一番暗かった・・・。
台湾の内省人は、統治していた日本の話は淡々と、いやむしろ懐かしげに語るのに、
国民党&大陸中国人のことは、本当に憎々しげに語りますよね・・・。
そのへんが、同じく統治されてた韓国の人との温度差の所以なんでしょうねぇ。
その九份の金鉱主である、台湾5大財閥のひとつ・顔家の末裔は、一青窈さんの実父。
この映画で、一青窈さんのお姉さん・一青妙さんがナレーションを担当してて、
映画の最後に一青窈さんの「大家」が流れます。
故郷を出ようか
so she tear
墓、通ってみよか
っていう歌詞が心にしみわたりました。
そうそう、映画はこれがまた結構な入りでした。平均年齢68歳くらい(笑)
入り口に人が集まってたけど、老人会のバスツアーの集合場所かと思いました。
今回は母と行ったので、ロビーでパンフを見ながら喋ってたら、
70代くらいの男性が「あの・・・九份に何か縁のある方ですか?」と話しかけてきました。
聞けば、その方は昔九份の小学校に通ってたとか。
なにかつながりがある人はいないかと、同世代の母に話しかけてきたのでしょう。
残念ながら縁はないけれど、九份には行った事があると話すと、
うれしそうに当時の思い出話をされていました。
日本人だって、台湾人だって、歴史に翻弄されたのは同じ。
そして、思い出を共有してることも同じ。
台湾の歴史を雄弁に物語る、貴重なドキュメンタリー映画でした。
渋谷のレイトショーは無理だったんで、下高井戸のモーニングショーで見てきました。
しかも、上映期間がたったの1週間。うっかりしてると見逃しちゃいます・・・。
映画「非情城市」を見てから、ずっと行きたいと思ってた九份へ行ったのが5年前。
まだ今ほど、一般のツアーコースには組み込まれてなかったと思います。
元々ツアーは嫌いだし、一家3人電車とバスを乗り継いで行きました。
それも、あえて鈍行電車でまったりと、バスの発着する瑞芳の町へ・・・。
電車の中で知り合った台湾人親子と一緒に、駅前でごはん食べてバスで九份へ。
激しい雨に降られて、駅で買った傘・・・これがえっらい丈夫でいまだに使ってます(笑)
かつてゴールドラッシュに沸いた金鉱の町は、とても印象に残ってます。
雨なので山の上からの景色は見えなかったけど、人が少ないのは良かったなぁ。
昔はさぞ賑やかだったんだろうなぁ、と非情城市の映像を重ねて思いをはせたり・・・。
そんな九份の歴史を、おぼろげには知ってたけど、
映画を見て、台湾の歴史とともに、より深く知ることができました。
当時のことを流暢な日本語で語る、生き証人の江さん・80歳。
お元気なうちに(失礼ながら・・・)映画に残せて本当によかった!
江さんとともに登場する、当時の思い出を語る皆さんもかくしゃくとしてらして。
「炭鉱は入る時にマッチやライターを持ってないかどうか検査される
でも、金鉱は出るときに金を持ち出してないかどうか調べられる」
「肛門に隠して出る人もいました。そういうとき、金鉱の入り口に蕎麦屋があるから、
そこへ連れて行くんです。お腹一杯になるとトイレに行きたくなるから・・・」
と、楽しそうに語る、当時の関係者のおじいさま方。
なんかやり方がいかにも台湾らしい牧歌的な感じ(笑)
金が出れば、取り分はもらえるけど、金鉱夫たちは宵越しの銭は持たなかったらしい。
ぱーーっと飲み屋や「女郎屋」に行って、使っちゃうから貯金はなかった・・・と。
ひとつには、みんな肺を悪くして早死にするから、ってのもあったようです。
「よく道端に酔っ払った人が倒れてました」って笑って言います。
みたびゴールドラッシュに沸いた金鉱も、国民党が来てから状況が一変し、
歴史に翻弄されたわけです。そのときのことを語る江さんの表情は一番暗かった・・・。
台湾の内省人は、統治していた日本の話は淡々と、いやむしろ懐かしげに語るのに、
国民党&大陸中国人のことは、本当に憎々しげに語りますよね・・・。
そのへんが、同じく統治されてた韓国の人との温度差の所以なんでしょうねぇ。
その九份の金鉱主である、台湾5大財閥のひとつ・顔家の末裔は、一青窈さんの実父。
この映画で、一青窈さんのお姉さん・一青妙さんがナレーションを担当してて、
映画の最後に一青窈さんの「大家」が流れます。
故郷を出ようか
so she tear
墓、通ってみよか
っていう歌詞が心にしみわたりました。
そうそう、映画はこれがまた結構な入りでした。平均年齢68歳くらい(笑)
入り口に人が集まってたけど、老人会のバスツアーの集合場所かと思いました。
今回は母と行ったので、ロビーでパンフを見ながら喋ってたら、
70代くらいの男性が「あの・・・九份に何か縁のある方ですか?」と話しかけてきました。
聞けば、その方は昔九份の小学校に通ってたとか。
なにかつながりがある人はいないかと、同世代の母に話しかけてきたのでしょう。
残念ながら縁はないけれど、九份には行った事があると話すと、
うれしそうに当時の思い出話をされていました。
日本人だって、台湾人だって、歴史に翻弄されたのは同じ。
そして、思い出を共有してることも同じ。
台湾の歴史を雄弁に物語る、貴重なドキュメンタリー映画でした。
by wuyue
| 2007-11-10 20:51
| TV・映画